ベンディングマシーン

   小さな約束を いくつも重ねて
   誰も知らない 未来へ行こう


 ニセモノノカラダ

 蝉時雨。夏の盛りにはまだ遠いと言うのに、むき出しの腕にはじっとりと汗が滲んでいる。変なところでリアルだな、と感心しながら麦藁の向こうの空を見上げる。
 振り仰ぐ空は、どこまでも青く、遠い。立ち尽くしていると、陽射しに肌が灼かれていくようで、ルキアは慌ててポケットを探った。
 出てきたのは、ピンク色したウサギのコインケース。
 ポケットに小銭を入れたまま走っていたら、振り返った一護に『チャラチャラうるせぇ』と投げつけられたものだ。
 こんな可愛らしい代物が、奴の鞄から出てくるとは思いもよらなかった。その時のことを思い出すと、ついつい頬が緩んでしまう。

 財布から小銭を取り出し、自動販売機に放り込む。並ぶボタンに一斉に灯りが点り、まるで「Drink Me!」とアリスを誘う薬壜のように自己主張する。
 ルキアは細い指を左右に揺らしてしばし迷った後に、イチゴ味の乳酸飲料のボタンを押した。
 取り出し口に落ちてきた缶を拾い上げ、頬に当ててその冷たさをゆっくりと堪能する。
 しばらく涼をとってから、プルタブに指をかけると、軽い音と共に口が開いた。
 やはり紙パックとストローよりも、こちらの方が飲みやすいな、などと考えながら缶を傾ける。特訓の途中で暑さに耐え切れなくなって休憩を告げ、この公園の広場までやって来たが、早く飲み終えて戻らないと、今日のノルマを消化しきれなくなる。
 喉を流れ落ちて行く甘い液体に、一瞬疲れを忘れる。
 こんな飲み物、尸魂界には無かった。現世に留まる時間が延びるほど、無用な知識が蓄積されていく。義骸に押し込められた魂は、すっかりこの世界に順応してしまったようで、時に恐くなることさえある。
 もしもこのまま、霊力が戻らなかったら。

 尸魂界にはとても戻れない。かと言って、このまま安穏と暮らして行くわけにはいくまい。
 自分が罪を犯していることは自覚している。こうしているだけで、一護に迷惑をかけていることも。何も知らない人間に死神の力を与え、そのことの発覚を懼れて、自分に下された指令を一護に肩代わりさせている。
 けれど問題はそれよりも、この生活が今ではひどく心地好い、ということなのだ。

 無意識に、甘えてしまいそうになる。
 全ては幻影で、永遠には続かないことなのに。

 いずれ力が戻って、尸魂界に帰れるようになっても、罪は償わなくてはいけないだろう。それは別に構わない。だが、尸魂界で自分が、現世での生活を懐かしんでしまうような気がしてならないのだ。
 今の生活は偽りのもので、本当の自分はここにはいない。
 痩せた小柄な身体を見下ろして思う。偽物ならばもう少し、成長させた姿で制作してくれてもいいだろうに、開発局も気が利かない。
 クラスメイトの姿を思い浮かべてみても、こんなに発育不良な女子は他にいないだろう。ほんの短い間入るだけの義骸なのだから、もっと使用者の希望を取り入れて作ってくれてもいいのに。

「莫迦だな」
 飲み終わった缶をゴミ箱に捨てて一人ごちる。
 誰に見せる必要がある身体でもないのだから、飾る理由もないのに。莫迦げた夢想を断ち切るように、再びコインケースを開く。
 並んだ灯りの中から、無糖のコーヒーを選んで指先に力を篭める。
 こんな苦いだけのもの、どうして好きなのか解らない。拾い上げた缶を目の前で揺らして、ぼんやりと思いを巡らせた。
「おい」
「きゃわっ!」
 突然背後から投げかけられた声に、思わず悲鳴を上げてしまう。振り返るとそこには見慣れたオレンジの髪。
「なんだ、一護か。驚くではないか」
「なんだじゃねーだろ。休憩したきり帰ってこないから、何やってんのかと思ったじゃねぇか」
 相変わらず、眉間に皺を寄せて言う。ルキアは手にした缶を、一護に向かって放り投げた。
 器用にそれを片手で受け止め、一護がコーヒーとルキアを等分に眺める。
「……なんだよ」
「間違えて買ってしまったのでな。貴様にくれてやる」
「それで困ってたのか。しょうがねぇな。これだろ」
 じゃあ俺が買ってやるよ、と財布を取り出しながらイチゴ牛乳を指差す。ルキアは慌ててその手を押さえた。
「い、いや、私はさっき飲んだからいらぬ」
 焦りのあまり声が上擦ってしまい、しまったと思うがもう遅い。一護が不審気な表情で自分を見下ろしているのを感じて、頬が熱くなる。
 しばらく沈黙が続いた後、一護は手にした缶のプルタブを開けた。冷えたコーヒーを一気に流し込み、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。
「美味いぞこのコーヒー。サンキュな」
 じゃあお前のはまた今度買ってやるよ。そう言うので、ルキアは素直に頷いた。

 今度、というのはいつのことなのだろう。
 他愛もない疑問に笑みを浮かべると、一護はルキアに背を向けた。
「戻って特訓再開すっぞ。言っとくが、うちの門限は7時だからな」
「うむ。貴様は物覚えが悪いからな。早く戻らぬと夜になってしまう」
 一護の後を追って、小走りで進む。
 物覚えが悪くて、物忘れが激しい。そんな貴様が果たさねばならぬ約束が、いくつもある。
 忘れてしまう前に、一つずつこなしてもらわなくては。

 せめて、この夏が終わる前に。


突然走り出したイチルキです。
作中のウサギの財布は、氷湖海夏様のサイト『果実と海』にある小説「疑惑と罠。」に出てきたものです。
うちのイチルキは、基本的に氷湖様の小説の三次創作のような気がします。
原作よりも妄想が刺激されるんですもの……。
氷湖様のサイトへは、LINKページからどうぞ。
素晴らしい小説が目白押しですよ!

2004/12