雨垂れ

     The life is just like a hack-and-slash game
     人を斬る意志があるのなら
         人に斬られる覚悟もなくちゃね


 たとえば君が聴いているのは二百年前の古典で、そのタイトルは誰もが
知っているけれど、僕が聴いているのは二十年前のロックで、クラスの誰も
その存在を知らない。
 つまりは、そういうことなのだ。


 雨が降っていた。
 横殴りにガラスを打つ水の音がうるさくて、いつもより早く目が覚めた。
 傍若無人なスタッカート。
 することもなくて、登校の支度をしていたら、ベッドの上でアユミさんが、
大きく伸びをした。
「早いね」
「ごめん、起こしちゃった?」
 猫のような仕種で身を起こし、フローリングの床に裸足の爪先を乗せる。
「ううん……凄い雨だね」
 キャンディグリーンのペディキュアが、薄暗がりの中で鈍く光る。
 緩やかな体重移動。
「車出してあげるから、待ってて」
 名残惜しげにベッドを一瞥して、アユミさんはクロゼットの扉に手をかけた。
 早起きは三文の得。
 そんな言葉が脳裏を掠める。
 いまどき三文じゃ、三途の川も渡れないわけだけど。


 いつもは教室から見えない位置に車を停めてもらうけど、今日は雨の勢いに
負けて、校門前で車から飛び出した。
 時間も随分早いことだし。
 この豪雨の中、窓から外を眺めても、人の顔までは判別つかないだろうと、
楽観的な予測もしつつ。
 一年三組の教室には、案の定誰もいない―――わけじゃなかった。
 窓際に立つスカートの人影。

「おはよう、小島くん」
 ゼリービーンズみたいな笑顔で。
 派手に着色された、鼻につく甘さ。
「平坂さん。早いんだね」
 僕も同じ笑みを返す。
 挨拶も済んで、義務を果たしたとばかりに席に着くと、平坂さんが静かに
歩み寄ってきた。
 なんで?
 教室に誰かいると、話しかけずにはいられない性質なのか?
 そういうのはちょっと、苦手なんだけど。
 ホラ、いつも連れ立ってトイレに行ったり、周囲に同調して誰かを無視したり
する女の子の心理ってやつ? は、どうも理解できない。
 そんなことを考えながら、笑顔をキープして固まっていたら、平坂さんは
僕の机の横で立ち止まった。
 勘弁してよね、と心の中で呟いて、雨の音に意識を逃がす。

 こんな雨の日は、啓吾はいつも遅れて来るんだ。
 自転車か歩きか、出発ギリギリまで悩むから。
 諦めて早めに出て、歩いて来ればいいのにね。
「小島くん、さっきの車の人、彼女?」
 うわー、最悪。
「うん。まぁそんなトコ」
 そんなことテメーに関係ねーだろ、バ―――カ。
 口に出さずに毒づきながら。
 うわぁ、どうしちゃったんだろう僕。

 いつもなら、さらりとかわせる興味本位の質問が、今日は何故だか神経に
引っかかる。
「ねぇ、小島くん」
 コジマクン。自分の名前なのに、どこか遠くの国の言葉みたいだ。
 甘ったるい声。
 それを聞きたくなくて、心の隅にLithiumを流す。
 優しい悲鳴みたいなカートの声。
(I'm so happy)
 雨の音に負けないメゾフォルテ。
「国枝さんのこと、振ったって、本当?」
 クレッシェンド。フォルテ、フォルテシモ、スフォルツァンド。
 一番訊かれたくないことを、笑顔のままで絡みつくように。
「えぇっ!? 国枝さんがそう言ってたの?」
 こんなシチュエーションは、何度か経験したことがある。
 何たって昔からモテたもんで。
 告白されてごめんなさいした子の友達に呼び出されたり。
 何で付き合ってやらないのかと問い詰められたり。
(何でって、だってそれはその子が同じ学年だったからなんだけど。普段あれ
だけ僕が、年上としか付き合わないって言ってるのに告白してくるクラスメイト
とかは、自分だけは特別だと思ってるんだろうか)
 少なくとも国枝さんはそうじゃなかった、けど。
「ねぇ、国枝さんが平坂さんにそう言ったの?」
 そんな筈ないよね。
 だってこの人は別に、国枝さんの友達じゃないもん。
 たとえばさ、もし僕が国枝さんに告白されて断ったとして、本匠さんや小川
さん(まぁ、小川さんはそういうキャラじゃないかな)が、僕を責めるって言うなら
わかるよ?
 でも、平坂さんにそんなこと訊かれる筋合いは、全くないと思うんだ。
 それに。
 僕は国枝さんに付き合ってと言われたこともなければ、断った覚えもない
わけだし。
「それは、国枝さんに直接聞いたわけじゃないけど……」
「そうだよね。変だと思った」
 邪気のない笑顔で言うと、平坂さんは戸惑ったように目を伏せた。

 要するに、彼女は目立つのだ。
 成績優秀、スポーツ万能。才色兼備の生きる見本みたいな長身の美女。
 嫉妬や羨望の対象になるには、まさにうってつけの人材。
 もしも彼女が、クラスメイトに告白して振られた、なんてことになったら、
間違いなく大ニュースになるわけで。

「僕、国枝さんに告白なんてされてないよ」
 話題を提供できなくて申し訳ないけど。
「彼女、僕より小川さんの方が大切だって言ってたし」
 僕は彼女の一番じゃないんだよ。
 何でこんなに口惜しいんだか、自分でもわからないんだけど。
(I'm so ugly)
 もう放っておいてくれないかなぁ。
 ギターと雨の音が、泣きそうに絡み合う。
(but that's okay, 'cause so are you)
 結局、僕と国枝さんって、釣り合わないと思うんだよね。
 彼女がスタンウェイなら、僕はシュローダーのピアノ。
 連弾なんて、できる筈もなく。
 面白味のない回答に、平坂さんは不満そうに口を閉じた。
 一瞬、彼女の視線が揺れる。慌てたように目を伏せて、それじゃね、とか
何とか小さく呟いて踵を返す。

「―――おはよう、小島」
 振り向くより早く、背中に投げかけられた旋律。
「おはよう、国枝さん」
 どうしてだろう。
 平坂さんが近づいて来たときは、あんなに鬱陶しかったのに。
 いまの僕は、国枝さんとの会話の糸口を探してる。
 言葉を発したのは、僕より彼女の方が先だった。

「小島って、『Atom Heart Mother』 持ってるって言ってなかった?」
 彼女の言葉に、少なからず驚いて。
「持ってる……けど、聴くの? 国枝さんが?」
「うん。良かったら貸してよ」
 何だか意外だ。
 国枝さんとピンク・フロイドが、頭の中で上手く結びつかなくて、何度も瞬きを
繰り返す。
「いいよ。じゃあピンクつながりでBONNY PINKとピンクレディも貸してあげよう」
「微妙なラインナップね……」
 苦笑混じりに答える彼女の声は、とても楽しそうで。
 僕の声も少しハイトーンになる。
「ねぇ、国枝さん」
 流れてたLithiumは、いつの間にかフェードアウト。
「シュローダーのピアノ、って知ってる?」
「ピーナッツの?」
 不思議そうに、眉根を寄せて彼女が言う。
「知ってるわよ、一応」
 ゆっくりと瞬きをしてから、窓の外に目を向ける。
「ちょうどこんな感じの音でしょ?」
 僕も彼女の視線を追って、ガラスに弾ける雨を眺めて。
 気がつけば、雨の勢いはずいぶん弱まってきたみたいだ。
 柔らかな水の音。

 帰る頃には、きっと青空も顔を出すんじゃないかな。
 世界を鍵盤楽器に変える雨音を聴きながら、僕はそんなことを考えていた。


途中で停滞しているうちに、内容が若干変わってしまいました。
ちょっと途中でスランプっぽくなって、文体も変わってしまいました。反省。
水色×鈴のテーマソングは、今のところNIRVANAの「About A Girl」です。
……だったのですが。気づいたら結構いい雰囲気になってきちゃってるかも。

個人的に、水色と鈴って、世界に対する温度差みたいなものが似てる気がします。
似たもの同士だから、あんまり甘々にはならないと思うけど。
何だか、両想いなのにくっつかない関係が好きみたいです。
千鶴×雨竜もそんな感じ。

2004/07