マヨヒガ

     美貌のトルソに 恋をしたら
     完全体では いられない



 夜になり、空を厚く覆っていた雲の切れ間から、月が姿を現した。
 その真白な光に誘われるように、白哉は隊舎を抜け、森へと続く道を辿った。
 木々の間から射し込む光が、零れた息を白く染める。
 凛とした寒さに足を速めようとした時、か細い声が耳朶を打った。

 足元に視線を投げると、生後数ヶ月といった様子の仔猫が、身を竦めて鳴いている。
 仔猫は白哉の顔を見上げると、彼から数歩離れ、振り返って再び小さく声を上げた。
 招くような素振りに、白哉はしばし迷った後、猫に続いて足を踏み出した。
 彼がついて来ているのを確かめるように、仔猫は何度も振り返りながら進む。


「誰? ギンノスケ?」
 数歩進んだ時、傍らの叢の奥から訝るような声が響いた。
 聞き覚えのあるその声に、下草を踏み分けて進むと、不意に開けた視界の片隅、桜と思しき樹の根元にうずくまる人影。
「松本副隊長」
 名を呼ばれ、乱菊が顔を上げる。
 思いがけない人物の登場に、彼女の瞳が僅かに瞠られた。
「あぁ良かった。助かったわ」
 にっこりと笑みを浮かべて、白哉に向かって手を振ってみせる。
 白哉は戸惑いを隠すように足早に、乱菊の許に歩み寄った。
「こんな時間に、何をしている」
「これ見て、判りません?」
 そう言って頭上を示す乱菊の指先から視線を移すと、その先では大振りの枝が派手に折れて、皮一枚で辛うじて樹に繋がっていた。
「…………落ちたのか」
 眉を顰めて白哉が言う。
「ギンノスケが登ったまま降りられなくなってたもんだから、助けてやろうと思って、ちょっとね」
 ギンノスケ、というのはこの仔猫の名前だろうか。視線を投げる白哉に、乱菊が慌てたように言葉を継いだ。
「あの、ホラ、ソウルキャンディの。ふてぶてしい顔が似てるでしょ?」
「義魂丹か。そう言えばルキアが何やら騒いでいた気がするな」
「そうそう。そこからとったの! この子の名前」
 何故か慌てるような語調に、ふと笑みが零れる。
「それで、動けなくなったと言う訳か」
 春にはまだ遠い、身を切るような寒さの中、彼女はどれだけの時間此処に座っていたのだろう。
 白哉が指を伸ばすと、触れた髪は芯まで凍りついたような硬さを返してきた。
「足を挫いたみたいで、立てなくて困ってたの。朽木隊長が来てくれなかったら、このまま凍死してたかも知れないわね」
 そんな言葉を、笑みを浮かべたままさらりと口にする。
 白哉は呆れたように溜め息を一つ吐くと、襟元を覆う薄衣を解き、乱菊の肩へ掛けた。
「うわ。ちょっと、これって高いんじゃないの?」
「安物だ。気にするな」
 嘘、絶対高級品だよ。と恐る恐る布地に触れる姿に笑みが深まる。
 乱菊は傍らの仔猫に手を伸ばし、「この布に爪立てちゃ駄目よ」と注意してから着物の胸元に滑り込ませる。
 乱菊の胸元に収まった仔猫が、白哉を見上げて小さく鳴いた。
「さて。悪いんですけど朽木隊長、隊舎まで肩を貸していただけないかしら?」
 悪戯めいた上目遣いで、乱菊が問い掛ける。

 その言葉に応えず、白哉は乱菊の身体を横抱きに抱え上げた。
「―――朽木隊長!?」
 驚く声を聞き流して、ゆっくりと歩を進める。
「ちょっ、ヤダ、下ろしてくださいよ!」
「……暴れると落ちるぞ」
 静かに告げると、腕の中の乱菊が慌てたように動きを止めた。落ちないように白哉の首筋に腕を回し、耳元で囁くように言う。
「誰かに見られたら、困りません?」
「何故?」
「…………いえ」
 失礼しました、と小さな声で呟く乱菊に、白哉が視線を落とした。
「私は困らないが、そちらは困るのかも知れないな」
 乱菊は、「そんなことないですよ」と言いながら、その言葉を証明するように回した腕に力を込めた。

「あの木ね、桜なんですよ」
 呟くように落とされた乱菊の言葉に、白哉は彼女が寄りかかるようにその根元に座っていた大木を思い出す。
「春になると、見事な花をつけますから」
 見に行きましょうか、と続けられて、僅かに目を瞠った。
「……私と?」
「そうですよ。おかしいかしら?」
「他に誘う相手はいくらでもいるだろうと思ったのでね」
 白哉の言葉に、乱菊が軽く笑った。
 花が綻ぶような、清冽なまでに妖艶な笑み。
「今日のお礼に、とっておきの美酒を用意します。女性の誘いを断るような、失礼なことはなさらないでしょう?」
 乱菊の言葉に、白哉も苦笑を返す。
「楽しみにしておこう」 


 隊舎が見えるところまで来て、白哉が乱菊をそっと降ろす。
「誰か隊員を呼んでこよう」
 そう言い置いて隊舎に向かう後ろ姿を、眺めるともなく見遣って、乱菊が小さく吐息を洩らした。
「性格も容姿も家柄も理想的―――か」
 倒木に腰掛け、頬杖をついた姿勢でぼんやりと呟く。
「あんな人を好きになれたなら、良いのにね」
 乱菊の胸元で、遠慮深げに顔を出したギンノスケが、高い声で一つ、鳴いた。



これっぽっちの文章を書くのに、半年もかかったってことですかい……!
いやあの、色々あったんですよ。
原作の急転直下の展開とか、白哉の妻帯発覚とか。

えぇと、こんなので良かったら、お受け取りください架南様。

2005/09