君の言葉
「三橋」
阿部君が、立ち上がってマウンドへ歩いてくる。
そっとグラブにボールを落として、固く右手を握る。
じっとりと汗ばんでいるくせに、妙に冷たい手。
早くこの手が、温かくなればいい。
と、不意にその手が持ち上げられる。
オレの手を握った阿部君が、またか、と言うように眉根を寄せる。
(緊張してるの、バレた)
耐え切れず目を逸らすと、阿部君が握った右手に力をこめた。
「大丈夫だよ」
強い声で。
「三橋は、やれるだろ」
すぐに返事しなければならない気がして、慌てて頷く。
「やれる……と、思う、よ」
語尾が徐々に小さくなる。
こんなんじゃダメだ、と思うのに顔を上げられない。
阿部君が、溜め息を一つ。
「お前ができないことは、オレがやるから。三橋はただ、オレに向かって投げろ」
(あれ……)
阿部君の声、怒って、ない。
むしろ苦笑まじりの声で。
「お前のボール、オレにくれよ」
「う、うん!」
思わず頷く。
そうだ。オレには阿部君がいるから。
(きっと、大丈夫だから)
その手を強く握り返して。
指先から流れ込んでくる、阿部君の鼓動。
(阿部君の脈、早い……)
その時に初めて気付く。
(あ、緊張、してる)
オレと同じように、阿部君も緊張してるんだ。
そうだよね。
オレも、阿部君も。
同じ高校生で、同じように勝ちたくて。
同じように緊張する、から。
だから。
「阿部君」
オレに、阿部君がいるみたいに。
阿部君には、オレが、いるから。
指先が熱を帯びてくる。
オレの鼓動も、伝わってるんだろうか。
「阿部君、オレ、やれる……よ」
大きい声には、ならなかったけど。
阿部君はオレの言葉を聞いて、目を細めて笑った。
「よし、勝てるな」
うん。
頷きかけて、下唇を噛む。
(あ、違くて。そうじゃなくて)
そうじゃなくて。
阿部君が、いつもオレに勇気をくれるみたいに。
その目を見つめて、息を吸い込んで。
「勝つ、よ」
言った途端に、阿部君の表情から笑みが消える。
(生意気……だったかな……)
オレ一人で勝てるわけないのに、調子に乗ってえらそうなこと、言った。
(ご、ごめん……っ)
固く目を閉じて、叱責の言葉を待つ。
「三橋」
(え……?)
思いがけない優しい声に、そっと目を開ける。
目の前には、阿部君の顔。
(あ……)
指が。
阿部君の指から流れ込む脈が、さっきよりゆっくりになってる。
オレの指も、阿部君の指と同じ温度になって、同じリズムを刻んでる。
阿部君が、一つ大きく頷いて。
「うん。勝とうな」
手を離して、ゆっくりとマウンドを降りる。
その背中を見ながら、指先に残った熱を、グラブの中のボールに伝えて。
オレがやるべきことは、この温度を阿部君のミットに届けること。
大丈夫。きっと届く。きっと伝わる。
(伝わるんじゃなくて)
ボールの縫い目を、指でなぞる。
(オレが、伝えるんだ)
だって、オレはピッチャーで、阿部君はキャッチャーだから。
向き合った阿部君のサインにゆっくりと頷いて。
そしてオレは、おおきく振りかぶった。

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