匣の中

―――お待たせ。こちらから呼び出したのに、遅れて済まなかったね。

「いえ。そんなに待っていませんから」

―――何か飲む?

「紅茶を」

―――さて。亡くなった高瀬明君のことを訊く前に、君のことを確認させてもらっていいかな。

    名前は進藤和実。十七歳。高瀬君と同じ県立沢崎北高校二年。間違いは無いね?

「はい」

―――じゃあまず、何から訊こうか。君と高瀬君の出会いってやつを、話してもらえるかな」

「明と僕が会ったのは、去年の春、高校に入学してすぐのことでした」

―――同じクラス?

「ええ。明は僕の斜め前の席に座ってて、明が机から落とした本を、僕が拾った時に、初めて

話しました。本のタイトルは‘シジフォスの神話’。たまたま僕もその時に、カミュの‘カリギュラ’を

読んでいたところだったので、話が合って、仲良くなったんです」

―――その時の印象はどうだった?

「物静かで、理知的な感じがしたな。僕の方が五ヶ月程年上なのに、僕よりずっと大人びてた」

―――君と高瀬君は随分と趣味が合ってたみたいだけど、その辺のことを詳しく聞かせて

    くれないか。

「趣味が合う、なんてもんじゃなかった。明と僕の嗜好はまるきり同じで、魂なんてものがこの世に

あるとしたら、明の魂と僕のそれは、全く同じ形をしていると思う。そうでなければ、僕ら同じ魂を

分け合って生まれて来たんだ。好きな作家は埴谷雄高。好きな映画はベティ・ブルー。

音楽家ならアントン・ウェーベルン。画家はワシリー・カンディンスキー。他に誰も、こんなに趣味の

合う奴はいなかった。明以外の連中は、埴谷雄高の名前も読めないような奴ばかりだった」

―――確かに、今時の高校生としては珍しい趣味かも知れないね。

「そう。だから僕ら、世界から弾き出された二人だって笑ってた。他の友達とも、それなりに仲良く

やってたけど、僕らには彼らが理解できなかったし、彼らもこっちのことを全く理解しようとしなかっ

た。実際クラスの中で僕と明は浮いてたけど、そんなことちっとも問題じゃなかった。僕には明が

いれば良かったし、明には僕がいれば良かった。僕らは二人だけで完璧だったんだ。他の誰も、

入る隙なんて無かった」

―――今年の六月、君と高瀬君は突然学校を二週間も休んでるね。

「旅行に行ったんだ。軽井沢と伊豆。丁度、横光利一を読んでいた時で、‘寝園’の舞台に行って

みようってことになった。梅雨時だったから、毎日天気が悪くて、僕ら旅館でずっと雨の音を聴い

ていた。軽井沢の霧なんて、ちっとも見られなかったけど、明は浴衣を着て、枕元でコクトーを

読んでくれた。藍子みたいにさ」

―――藍子って?

「登場人物だよ、‘寝園’の。知らないの?」

―――残念ながら文学に疎くてね。で、旅行はどうだった?

「楽しかったよ。このまま時間が止まればいいと思った。あっという間に二週間が過ぎて、また

退屈な日常に戻らなくちゃいけなくなった時は、すごく辛かったな」

―――旅行に行こうと言い出したのはどっち?

「どっちだろう。そんなこと気にしてなかったから。明はいつも、僕の思ってることを言葉にしてくれ

たし、明の望みは僕の望みだった。……確かあの時は、僕が先にどこかへ行きたいと言い出して

明が、それなら軽井沢と伊豆にしようと言ったんだ。はっきりとは覚えてないけど、そうだったと

思う」

―――その一ヵ月後に、高瀬君は自殺してしまったわけだけれど、旅行中、何かその徴候

    みたいなものはあった?

「全然。だけど僕ら、いつ、どっちが死んでもおかしくなかった。僕と明は、常に世界から隔絶され

てたから。僕らを生命に繋ぎとめていたのは、ただお互いの存在だけだった」

―――高瀬君が死を選んだことについて、思い当たる点は?

「さぁね。明が死んだ理由については、参考になりそうな意見は述べられそうにないな。そうする

べきだったから、なんて言っても解らないだろうし。質問はこれで終わり?」

―――もう一つ。君はどうして、そんな男の子みたいな話し方をするの? 女の子なのに‘僕’

     なんてさ。それも高瀬君に関係あるのかな。

「……そうだよ。僕は明と、完全に同一な存在になりたかったから、この言葉を選んだんだ。僕は

性別なんて超えて、明と同じ位置に立って、同じ人間になりたかった」

―――それならどうして、君は生きてるんだ? 高瀬君が死んだのに、どうして君は自殺しようと

     しないの?

「そうするべきだったから、だよ。明が死んだから、僕は生き続ける。単純な理屈だよ。これが

解らなかったら、明が死んだ理由なんて、一生解るわけないね」

―――嘘だ。そんなの言い訳だ。高瀬君は君が好きだった。君を女の子として愛していたのに、

     君は彼との同一化を装うことでそれを拒んだ。彼はそれを苦にして自殺したんだ。君が

     高瀬明を殺したんじゃないか。

「………」

―――何とか言ったらどうなんだ。

「もう止しましょう、高瀬真人さん。弟さんの死の責任を、僕に押し付けたいのは解るけど、そんな

ことは不可能だ。明が求めていたのは、僕ではなくて家族の愛情だった。たった一人の兄が、

自分に見向きもせずに仕事ばかりしているのを、明がどれだけ寂しく感じていたか、あんたに

解るわけないんだ」

―――俺が明を殺したって言うのか。

「違うよ。あんたじゃない」

―――じゃあ一体誰が、明をあんな目に遭わせたって言うんだ。あいつは一人きりで、手首を

     切って死んだんだぞ。俺が見つけた時には、もう冷たくなってた。遺書も残さずに、あいつ

     は…。

「これ以上、明を殺し続けるのは止めてください。明は誰に殺されたんでもない、自分で死ぬことを

選んだんだ。それは絶対に、あんたなんかのせいじゃない。明は明なんだ。他の誰も、その存在

を侵すことなんてできやしないんだから」

―――お前が言っていることは、俺には全く理解できない。

「解らないでしょう。あんたが明を理解できなかったように。どうします? これをそのまま記事に

しますか? 記事を読んだって、僕以外に明を理解できる奴なんていないのに」

そして明のいない今、何もかもは無意味なのに。

 

19960120Sat

 

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